理想の夫婦

毎年11月22日の「いい夫婦」の日にちなんで調査された「理想とする有名人夫婦」で、20代30代に限定した結果を見てみると1位は北斗晶・佐々木健介夫妻だったそうだ。北斗・佐々木夫妻は家族みんなの仲むつまじい様子がよくテレビなどで放送されている影響が大きいようだ。当人たちも「鬼嫁」を商標登録するなど夫婦ビジネスに余念がないようだ。鬼嫁を立てる夫・佐々木健介は弟子からは本当は怖い人と言われているそうだが、プロレス引退を機に「良いパパキャラ」に徹しているようだ。ちなみに2位は辻希美・杉浦太陽夫妻、3位は木下優樹菜・藤本敏史夫妻、4位は松本伊代・ヒロミ夫妻、5位は里田まい・田中投手夫妻と言う結果だ。賛否両論あるが、結婚したことで好感度が上がる女性タレントは多い。やはり芸能人はイメージが大事なのだろうか。

プロレスラー目指す元GK

元ドイツ代表ゴールキーパーのティム・ヴィーゼさんが、12月15日に開かれるアメリカのプロレスリング団体「WWE」のフランクフルト大会で、テスト選手としてデビューすることが明らかになったという。11月12日付のイギリス紙「デイリー・メール」が報じている。

2014年1月にホッフェンハイムとの契約を解除し退団したヴィーゼさんは、がっちりした体格がWWEの目にとまり、9月にプロレスラーとしてのオファーを受けたことを明かしていた。その後、厳しいトレーニングを乗り越えたヴィーゼさんは見事な肉体美を報道陣に披露して話題になっていた。

プロレスリング団体「WWE」として、プロとしてリングに上がるには、もっともっとトレーニングをしていかなきゃいけないという。プロとしての採用に向け、ヴィーゼさんは日々トレーニングに励んでいる。プロレスラーとしての第二の人生に期待したい。

プロレスの星 アステカイザー

「プロレスの星 アステカイザー」は1976~77年にかけて現在のテレビ朝日系列で放送された特撮ドラマで、実写にアニメを融合させた”ドラマメーション”と銘打たれた斬新な表現手段を採用した円谷プロとダイナミックプロが初タッグを組んだ特撮ヒーロードラマ。戦いの終盤になると実写映像からアニメーションに切り替わる前代未聞のギミック「カイザーイン」は多大なインパクトで話題を呼び、今なお伝説として語り継がれている。原作はプロレスファンとしても知られる「ゲッターロボ」の永井豪と石川賢のコンビ。また、当時人気絶頂のアントニオ猪木率いる新日本プロレスが作品に全面協力しており、アントニオ猪木など人気レスラーたちがゲスト出演し、リアルなプロレスシーンを展開している。CG技術などがまだ発達していなかった時代、実写で再現が難しい部分をアニメーションに切り替えるのは斬新だが、違和感はないのだろうか?一度見てみたい作品だ。

女子プロ

かつて、一世風靡をした女子プロレスラー。

ユニットを組んで、CDをリリースしたり、テレビ番組では入門塾が企画として取り上げられたりと、

一時期ブームだった。

しかし、最近は女子プロレスラーをテレビで見ることも少なくなった。

テレビ番組はもちろん、会場での試合の観客数も減ってきたという。

ところが、そんな今の時代に!

密かに人気な女子プロレスラー達がいる。

なんとアイドル路線の可愛い女子プロレスラーがいるというのだ!

気になったので、少し調べてみると…

本当にかわいい。

かわいくコスプレをして、アニメキャラクターに扮したり、様々だ。

また、可愛い女子プロレスラーはDVDや写真集を出したりと、いろいろな方面から売り出している。

かわいい女子プロレスラーの今後が楽しみだ。

バタフライ

バタフライといえば、プロレスファンなら蝶野でしょう。

水泳のバタフライについて。当時は平泳ぎの泳法規定は「うつぶせで、左右の手足の動きが対称的な泳法」と定められていました。
そこで1928年のアムステルダムオリンピックの開催時に、ドイツの「エーリッヒ=ラーデマッヒェル」が、現在のバタフライに似た手の掻きと平泳ぎの足の掻きを組み合わせた泳法で平泳ぎ競技に出場しました。
その後、1936年のベルリンオリンピックで数名の選手がこの泳法により好成績を収めると、1952年のヘルシンキオリンピックでは平泳ぎにおいて、ほとんどの選手がバタフライの手の掻きを用いるようになりました。
そこで国際水泳連盟は、1956年のメルボルンオリンピックから独立した種目として扱うようになったが、この時ある選手が膝を痛めて平泳ぎの足の掻きが出来なくなり、両足を上下に動かす現在の足の動き(ドルフィンキック)を考案しました。

凄い組み合わせ

まだ新日とUWFの提携時に、若き日の高田が木戸と組んで、越中・橋本組とのタッグマッチに挑んだ試合ある。

これは凄い組み合わせだ。

後の事を考えると、鳥肌が立つ。

Uインターとして新日に参戦し、つぶされてしまった高田を考えると・・・・

高田と橋本がこの時期にぶつかっていたとは、今回初めて知った。

 

君主制

君主が存在する国家を君主国、君主が存在しない国家を共和国という。君主国は通常、支配者の君主号によって、王国(王)、大公国(大公)、公国(公)、首長国(アミール)、帝国(皇帝)などと呼ばれる。かつて君主号には、個々の文化圏ごとの複雑な慣習に基づく序列や優劣が存在したが、現在は国際社会において儀礼上対等とされる。

一般的にその地位は、独りの人間が終身で持ち続け、その一族により世襲される。これを世襲君主制という。通常は、君主の一族を王家(王室)と呼び、王家による世襲権力の連続体を王朝という。バチカン市国のように、世襲によらない地位の継承が行われる例もある(選挙君主制)。また、マレーシアやサモアは任期制の君主国である。

エディゲレロ

1992年に素顔で新日本プロレスに初来日。このときは、正統的な動きの中に切れのある空中技を披露し、天才レスラーと称えられた。また、この頃出会ったクリス・ベノワ、ディーン・マレンコとは生涯にわたって親友と呼び合う仲になり、その後も行動を共にしていく。同じ頃、CMLLでマスカラ・マヒカという覆面レスラーへの変身を命じられる。しかし自身の扱いに不満を持ち、新興のライバル団体AAAに電撃移籍、自らマスクを脱いで正体を明かしたルチャリブレ史上唯一の選手となった。AAAではトップ選手のエル・イホ・デル・サントと「ニュー・アトミック・ペア」を結成(初代アトミック・ペアは互いの実父であるエル・サント&ゴリー・ゲレロ)した。

その後、二代目ブラックタイガーとしての活躍も見事だった。

不器用だったハンセン

日本初参戦は1975年9月。まだ一介の若手であったが、シリーズ最終戦は蔵前国技館でのダブル・メインを控えたセミファイナル・マッチであった(対戦相手は当時全日本のNo.3だったザ・デストロイヤー)。ジャイアント馬場はギャラを手渡す際「いい試合をしてくれた」と声を掛けたが、実際の評価は「馬力だけの不器用なレスラー」だったという。

サンマルチノ戦後の1977年新春より新日本プロレスと契約し、同年秋の2度目(来日は3度目)の参加からはシリーズエースとしてメイン級の働きをするようになった。1979年のMSGシリーズでは、アンドレ・ザ・ジャイアントを抑えてアントニオ猪木と優勝戦を闘い、1980年2月にはウィリー・ウィリアムスが観戦する面前で猪木からNWFヘビー級王座を奪取した。以後も猪木のライバルとして成長し、NWF王座をめぐる名勝負を展開した。「0.X秒差の逆ラリアート」などのドラマを生み、それまでのメイン・イベンターであったタイガー・ジェット・シンを抜いて新日のトップ外国人レスラーとなった。

タイガー服部

明治大学在学時にレスリングで頭角を現し、1966年全日本レスリング選手権大会男子グレコローマン・バンタム級で優勝を果たした。翌年1967年にルーマニアで行われたレスリング世界選手権においてもバンタム級で優勝を果たした。

卒業後は松浪健四郎と渡米し、コーチ業をしながら選手活動を継続。全米選手権を制覇(詳細不明)したのをきっかけにプロレスラーにレスリングを教えるようになり、1970年代後半にフロリダにてヒロ・マツダの道場に入りハルク・ホーガンらを指導。また、同時期にフロリダ地区(エディ・グラハム主宰のチャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ)で活動していたマサ斎藤(明治大学の同僚)、高千穂明久、ミスター・ヒト、ミスター・サクラダ、キラー・カーンら日本人選手のマネージャーも務めた。この頃、ミッドサウス地区のプロモーターのビル・ワットにタイガー服部と命名される。

フロリダではレフェリーも担当し、1980年には全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にNWAの公認レフェリーとして参加。アブドーラ・ザ・ブッチャー&キラー・トーア・カマタ対ザ・シーク&グレート・メフィストなどの試合を裁いている。