一徹の変化

飛雄馬の青雲高校在学中、野球部監督の候補者を探し回っては断られた伴大造の依頼で青雲高校の野球部監督を引き受けるが、部の実力が甲子園レベルまで向上した事を見届けるかの如く、東京都大会直前に退任。

1968年オフ、川上監督直々の二軍コーチ就任要請を断り、打倒・巨人に燃える中日ドラゴンズの招聘により、セントルイス・カージナルスの打者オズマを獲得を条件にコーチに就任。背番号は「84」だが、この番号を選んだ理由は飛雄馬の「16」と足して「100」とすることで「親子で完璧を目指す」という思いを含んでいる。

就任と同時に“大リーグボール打倒ギプス”による特訓の結果、オズマは飛雄馬の大リーグボール1号を破る事に成功するものの、新たに飛雄馬が開発した大リーグボール2号に敗れる。 その年のオフではオズマが契約切れでの帰国することになり、巨人からトレードで伴を獲得。伴に鬼と呼ばれるほどの苛烈な特訓を課し、伴を飛雄馬の刺客に改造する事に没頭した。